|
PRIMARY WORKS 2000-2002のために |
|
間 泰宏 |
| ぼくにとって絵画とは、それを形式や物質という側面から見るならば、記号あるいは図そのものである。ただ、絵画はそこで始まり終わってしまうものではない。描かれた記号や図を見ることで喚起されるイメージが重要なものとなってくる。 絵画作品について、記号を描き出すことから始まり、見ることによって何かを感得するという過程を無視して考えることはできない。結局、その一連の経過そのものが絵画を絵画たらしめるのであり、例えば絵画そのものとしてぎりぎり成立する絵画、つまり絵画そのものとして自立する絵画という概念に思いを馳せる時でさえ、そのような認識に至ろうとする人間が絶対に一人存在しなければそのような思考を反映した作品は成り立たないからだ。 つまり、絵画とは、そのような概念上の規定を物体化したものではなく、あくまで自分自身の想像力を飛躍させるための一つの手段であると捉えている。だから現在の自分の制作においては、絵画とは何かという問いかけの延長として出てくるだろう、いかに描くのかという問題を切り離して考えることができるような制作方法を採っている。それは例えば丸い円の中に点を二つ打てば顔になるといったような、きわめて平凡な記号的描画方法だ。 ぼくは現代の絵画とは、誰もが描けるものであるべきだと思っている。それは特別な訓練などなしに描くことができ、全ての人に平等に開かれている領域であることが必然であると考えている。そのような前提があって初めて、あらゆる人が絵を描きそれを見ることでコミュニケーションをとることができる道が開かれるはずだからだ。そしてこの考えをぼくなりに実践したものが、作品中に登場するキャラクターのようなものだ。結果的にはきわめて漫画的な表現方法となっているが、これは単純に漫画やアニメといったものへのシンパシーから今の作品形態に至ったのではない。結果が同じであるとしても、そこへと続く道はただ一つではないし、その結果ですらも、実は似て非なるものであることが、多くの場合あり得るということを、思い出すべきだろう。 また、ぼくは作品制作の過程に他者を積極的に介入させることによって、絵画を通じて発見できる人間そのものへの認識をより広がりのあるものへと導きたいと考え、実践している。現在は一人の詩人との共同制作が中心となっている。それはシュールレアリスムのデペイズマンに似た制作方法を採用しているのだが、一つの画面上に於いて、表面的にはなんの関連性もない絵と詩の言葉が組み合わされることによって、そのどちらかだけでは決して喚起できないであろう、初めてで会うことができる新たなイメージの創出を目指している。 この現在の方法において、実は記号としての絵と文字という共通項の存在が、このようなスタイルでの制作を可能としているし、作品そのものがただ眺められるものではなく、読みとるものという見方をすることができるという可能性を開示している。今後はさらに、例えばペトログリフの様な、絵と文字の中間のような存在、常に見ることと読むこという2つの可能性を内在した絵画を作り出したいと考えている。 ところで、ぼくが他のジャンルの作家と共同制作を行うのは、全ての芸術作品の根底にはあらゆる人が理解することができるはずの、根源的な共通項があると感じているからだ。それが多分人間の想像力であり、それがあるからこそ人は、例えば音楽でも絵画でも共に味わい感動することができるはずだからだ。だから作品の中に絵画としては明らかに異質な要素を取り込むのは、例えば今世紀に入って彫刻の世界で様々な素材が使われだし、そこから一方に於いてインスタレーションへと展開していったような、何を使って何をしてもよいという状況を反映しているのではなく、あらゆる表現行為を支えるのは人間の想像力であり、それはなにものにも制限されるものではないということを示していこうとするからに他ならない。 そして、自分の制作は、基本的に「絵画とは何か」という問いから出発するのではない。常に「絵画に何ができるのか」という問いから出発するのであり、それは、絵画というものを通じて、自分の想像力を羽ばたかせ、人間として今この時代を生きることを一層充実した実りある道にしたいと考えているからだ。人が生きるに値する世界を作ることができる原動力になるのは、それがどのようなジャンルであれアーティストをおいて他にないと信じている。 (ギャラリー現・個展テキスト) |
|
2002年9月 |