フェニーチェに降った一滴の雨

林 知紀   

 雨の一滴々々にはそれぞれ意味がこめられている。
 朝、目覚めて最初に目に入った光、道を歩いているときにふと気持ちのいい風が吹きぬけたこと、もう思い出せない幼いころの友達の名前。
 そんなささやかな出来事が雨の滴に形を変えて、小さな星の小さな島に降り注いでいる。
 その島が、僕達の作品の土台となっているふわふわ島だ。世界から溢れ出した夢や願いが固まって、その島を形作っている。ふわふわ島は今日も数え切れないほどの人々の気持ちを受け止め、そしてゆっくりと静かな日常を過ごしていた。
 僕達は僕達の心の中にそのすべてを残しておくことはできない。人の心は有限であり、生きているということは、ほとんど無限の出来事に出会うということだからだ。しかし、僕達の心の中にとどまることのできなかった出来事、かなえられなかった夢、果たされなかった約束は消え去ってしまったりはしない。僕達の夢は姿を変えてふわふわ島へと届き、そしていつの日にか再び青い空の向こうへと旅立っていくだろう。
 僕達は日々の生活の中でしばしばとても大事なことに気づくことがある。
 電車の窓から外を眺めているとき、いつもの角を曲がったとき、雨の最初の一滴が掌の上に落ちてきたとき。
 それは日常の些細な瞬間に忍び寄り、そして次の瞬間にはそれが何だったかを忘れてしまう。ただそれがなにか重要で不思議な何かだったということしか記憶には残らない。
 そんな不思議な気持ちが無数の雨粒にまぎれ、今日もふわふわ島に降り注いでいる。
 無数の雨粒のすべてが等しく重要なものだという見方もあるだろう。しかしまた、その特別な一滴が残りすべての雨粒と引き換えてもかまわないほどに大切なものだと思う。
 ふわふわ島はその一粒の雨を受け止めるために存在しているのかもしれない。そしてその一粒の雨の価値を完成させるためのほとんど無限に降り積もる雨のすべてを受け止めるために。
 今夜、あなたの街に雨が降ったなら、その雨の一滴を掌に受け止めてほしい。そしてそれがあなたにとってとても大事な一粒であるように。

2002年