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田中慎平の誕生と歴史 |
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間 康宏 |
| 僕たち二人の関係を振り返るとき、最初に出会ったきっかけはもう思い出せないのだけれど、高校2年生の頃にはなにかと二人でつるんでいた記憶があるから、既に軽く15年近いつきあいがあることは確かだ。当然ごく自然なこととして、その当時から自分たちが書いた文章や詩を見せ合っていて、様々な機会にお互いの思考を鍛え上げる訓練を積んでいったわけだが、そうすればするほど、口裏を合わせていたわけでもないのに意外なほど二人の目指す方向性に一致が見られた。そのことが、現在もなお二人してより密度の高い活動を展開する遠因となっているような気がする。 そういった基盤があった上で、田中慎平の前史とでもいうべき活動の歴史を振り返るならば、その中心となるのは二人で1992年に創刊した『麒麟』という小冊子と言うことになるだろう。この冊子については別に詳述するが現在も発行を続けている同人誌だ。 高校在学中からそうだったのだけれど、ぼく自身は画家を目指していて、林は詩を書くという道を自覚的に選択していった。そうした畑違いの二人が力を合わせてなにか面白いことをしようとするとき、勿論同じ方向にいつも二人が頭を向けていたという下地があるのだが、それでもそんな自分達にいったい何ができるのか。意識してはいなくても、それが常に中心的な課題の一つとしてあったのではないだろうか。 その課題を解決する方法として、結局僕たちはお互いの作品を利用して展覧会を行うということに一つの道を見出し現在にいたっている。その最も早い例は『麒麟』創刊と同じ1992年にぼくが在学していた大学のギャラリーにおいて行った小さな展覧会と言えるだろう。残念ながら、この作業については何一つ資料が残っていないのだが、一つの壁面に絵と詩を全く同じ比重で展示してみせるという、ほぼ現在の仕事の原形とでもいうべき作業形態が早々と顔を見せている。 これから後の数年間、展覧会という形での活動は影を潜め、『麒麟』を活動の場としながらそれぞれ個人的な課題をこなすことが中心となる。それが再び展覧会中心の活動形態に戻るのは1997年のことだ。 この展覧会は『複相』と題され、二人がそれぞれの表現方法を駆使しながら、お互いにに共有できる世界観、あるいは価値観といったものを構築することをその中心的な課題としたものだ。1992年に大学内で行った展覧会の方法をさらに展開し、具体的には、ぼくが書いた短編小説をモチーフとして林が詩を書き、その詩をモチーフにぼくが絵を描き、それを元にまた林が詩を書く。そんな風に連鎖反応するような方法で、途中で断ち切ることのできない、それぞれの詩と絵は独立していながらも常に有機的に関連して一つの大きな総体としての作品を形作るということが行われた。 この後さらに二人の作品は融合を進め、ついには現在の様な詩と絵が一体となった作品形態を獲得することになる。その前段階として、ぼくの『夏の吐息』と題された作品に触発された林が詩を一本書き上げたことがあり、それが詩を絵の中に書き込んでいくという作業へと跳躍するきっかけになったと言えるのだが、作品としての最初の例は1999年に制作された『旭光』という作品だ。この時点ではまだ現在のようなふわふわ島というモチーフや慎平君といった存在は登場していない。 それから比較的短期間のうちにまた作品が大きく変化し、2000年の春に完成した『ふわふわ島の春』という作品で、初めて現在制作しているシリーズの片鱗といえる部分が具体的に見え始めた。その後『ふわふわ島の伝説』という題名の展覧会から現在の田中慎平名義での活動へと展開していくことになる。 ところでこの田中慎平という名前についてだが、これは一つの国名に例えて言うことができるのではないだろうか。つまり僕たちは二人の個人の集まりではあるが力点は常に二人が何を目指しているのかという点に置かれ、またそれが常に同じ一点を見つめているていると言うことだ。それは例えばアメリカ合衆国という国が、元々様々な国からの移民で成立した国であり、生活習慣から利害関係まで全く相容れない人々が、それでもなお一つの土地で共に生きるという、もっとも困難な道を選択し模索していった姿に似ていると言えるだろう。 だから、僕たちの活動に二人展という言葉は全くふさわしくない。それはあくまでも展覧会活動の一形態に便宜的に与えられた名前であり、僕たちの活動のように、生きることの姿勢そのものから発する活動には十分言及するだけの力を持っていないからだ。 さて、こうして僕たち二人の存在について作家活動という側面を中心に見直すことを試みてみたわけだが、一番大切なことは、僕たちが美術史上の問題を解決するために二人で活動を開始したのではないと言うことだ。どういった偶然の幸運からか、僕らはともに同じ道を歩むことを運命づけられていたのであり、その道を自分達なりの方法でどうにか今も歩いているということだ。それは人が生きるということのごく自然なあり方の一つであって、その具体的な方法として二人がそれぞれに絵と詩を選択し今に至っているに過ぎない。そしてこのようなあり方は、曇りのない眼でしっかりと見つめることができさえすれば、本当に当たり前なことだということに誰だって気付くことができることだと思う。 |