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現実世界へと紛れ込んでくるふわふわ島 |
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林 知紀 |
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| 僕たちが生きているこの世界とふわふわ島は繋がっている。 僕たちの願いや夢が気づかない間にふわふわ島へと飛び立っていくことは、すでにはっきりと自覚されている事実だ。僕たちの願いはまるで天使の羽飾りのように形を変えて、ふわふわ島に降りそそぎ、そしてふわふわ島そのものを形作っていく。そのようにふわふわ島にたどり着いた願いはいつの日にか成就され、ふわふわ島から旅立っていく。それらの物語の行く先はそれ以上量り知ることはできない。 しかし、そのように成就されたものではない形で、ふわふわ島から僕たちの現実世界へと戻ってくる物語もあるのではないだろうか。それは、ふわふわ島が決して世界中の願いの墓場ではないことを意味している。僕たちの世界に居場所をなくし、ふわふわ島へと飛び立っていった願いも、中には僕たちの世界に再び戻ってくることができるのだ。 それは例えば机の引き出しの奥に懐かしい写真を見つけたときだ。今まで忘れていた、しかし当時はとても大事だったこと。かなえられなかった夢、果たすことのできなかった約束が心のうちへとよみがえってくる。人の心は有限の容れ物であり、本来ならばそのような過去のすべてをしまっておくことはできない。しかし、不思議な縁で再び僕たちの手元に戻ってきた思い出を優しく受け入れるくらいの余裕があってもいいのではないかと思う。 天使はそんな風に僕たちの現実世界に迷い込んでくる。視界の隅にほんの一瞬、ちらりと映る影のように、晴れた散歩道で奇妙な既視感にとらわれたとき、ほとんどはそんなとりとめもない現れ方ばかりだ。慌てて振り返ったときにはもう天使はどこかへ消えてしまっている。そして天使のぬくもりだけがうっすらと心の隅に残っている。 天使は僕たちの現実世界のありとあらゆる場所に潜んでいるのではないだろうか。そして僕たちは普段天使の存在に気がつくことなく、忙しい日常を過ごしている。ふわふわ島に降り立ち、天使という形に変質した僕たちの願いは、既に僕たちの心を惑わすこともなく、ただ超然と僕たちの日常の暮らしを眺めている。もしかすると、ふわふわ島の上でどこか虚空を眺めているように見える天使は、その不思議な瞳を通して現実世界に生活している僕たちを眺めているのかもしれない。そんな風にいつも僕たちの身近にふわふわ島は存在しているのだ。 僕たちがふわふわ島の作品の一環として、ガラスコップやコーヒーカップに天使の絵を描き込み始めたことは、そんな天使の実態を描きたかったからだろう。僕たちの心のうちに存在していたものがいつのまにか薄れて消えていき、しかし完全には消え去ることなく、天使としてふわふわ島から僕たちをいつまでも見守っていてくれる。 結局、これらのガラスコップ等の作品は、単なるキャラクターグッズではなく、ふわふわ島というイメージを補完補強していくための作品なのだ。日常、何気なく使用するものの影からこっそりと天使が僕たちの生活を覗いている。そして僕たちもまたそんな天使たちをいとおしく見守っている。そんなふわふわ島との結びつきを身近に感じてくれたら幸いだ。 |
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2001年 |
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