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ふわふわ島の伝説 |
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林 知紀 |
| この物語はふわふわ島とその島に住む一人の少年、慎平の物語である。 ふわふわ島は小さな星を満たす青い海の真中に一つだけ浮かぶ島だった。 その島は人々の願い(もしくは物語)から構成されていた。世界から溢れ出した願いがこの小さな星でふわふわ島という形として現れたのだ。世界中から集まったそれら無数の物語は静かな雨となり、島へとしみこんでいく。島は何万何億の物語を黙々と受け止め、そして今日もまたいつものように静かな一日を過ごしていく。 島へ降りそそいだ物語は、島の上に様々な光景を描いていく。それはさわやかな風が吹き抜ける丘であり、どこまでも続く道路であり、島に一つだけのバス停と一つだけの赤いポストである。その姿は物語がふわふわ島へとやってくる前の元々の姿を表しているのかもしれない。それとも何か象徴的な暗喩であるのだろうか。いつしか島の上にはあきれるほどに多様な景色が描き出されていた。 そんな確固たる存在になりきることのできなかった物語のうち、ある種類のものは丸い不定形の胴体を持った生き物のような何かになり、ふわふわ島に降り立った。僕たちはその不思議な存在を便宜上、『天使』と呼んだ。その単語の使用はあるいは適切なものではないのかもしれない。それは『それ』であり、例えば天使といった別の何かではなかった。もちろん、宗教上の伝承にあつらえているわけでもない。ただ、そのあまりにも超然とした存在を見ていると、自然にその言葉が出てきただけだった。 天使は不思議な存在だった。漠然と虚空を眺めているその姿は、まるで永遠にその場に縛り付けられた彫像のようにも見えるが、ふと目を離した隙に向きを変えていたり、運がよければ走っている姿を目撃することができたりもする。時には現れ、時には消え去り、そして島のあらゆるものにこっそりと擬態をしていたりもする。何を考え、何を目的としているかはまったく分からなかった。しかし、その不思議な態度は天使に特有のものではない。この島ではありとあらゆるものが、なにか別の目的をもって存在したりすることはなかった。はかない夢も、誰かのための約束も、この島には用意されていない。ただ、ゆっくりと流れる時間に身を任せることだけが、この島にたどり着いた無数の願いのするべきことだった。 そんな島で彼もまた、淡々と日常を過ごしていた。それはまるで祈りにも似たような日々だったが、彼自身は島のあらゆるものと同じに他の何かのために生きているわけではなかった。彼の心とは無関係に、彼が日常を過ごすことにより島に蓄積された願いは成就されていく。さわやかな風が吹く朝に、満天の星がきらめく夜に、かなえられた願いは空へと舞い上がり、この島から旅立っていった。それは美しい景色であり、このためだけにこのふわふわ島が存在していると言っても過言ではなかった。 それはやはり祈りそのものだった。もちろん彼が直截に祈りを捧げているわけではない。しかしどのような祝詞よりも、彼がこの島を愛し、この島で生きていくことは、島に託された物語にとっては重要な、そして効力のある祈りであった。彼は一つ一つの物語の詳細を知りはしなかったが、しかし彼のすべてをもってしてそれらを愛していた。 その透明感のような日々は、どこか確固たる現実感を持ちえずにいた。島を構成するすべての物語はいつの日か成就され、空へと還っていく運命にあるからだろうか。それらの物語は当然ながら、どれ一つとして同じものはなく、それと同じように彼の生活は一日一日が別の一日であった。そしてその無常の日々を過ごしていくことが、彼にとっての日常だった。 いつか、この世界のすべての物語が成就され、ふわふわ島が青い波間へと消えていく日が来るのかもしれない。しかし、世界はいつまでも新しい願いを生み出しつづけ、彼はこれからもほとんど永遠にそれらの物語を愛していくのだろう。だがそれは、今朝やっと芽吹いた一本の若木が三万年をかけてその梢を月の白い肌に触れるのを待つことと同じように、彼にとって、そして現実の世界に生きる僕たちにとっても喜びの日々であるのだと思う。 |
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2001年 |